医療制度研究会 〜21世紀の医療を共に考える会〜

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投稿原稿

● 2006年度医療制度改革の総括
医師不足、、病床削減について
中澤 堅次 理事長
医師不足について

新臨床研修制度の施行でもともと臨界点にきていた日本の医師不足は顕在化した。厚生労働省はこの問題を臨床研修医が大学病院から市中中核病院にシフトした結果で、起きている現象は不足ではなく偏在であるとしている。しかしこれは真相ではない。スーパーローテートの導入で、大学医局に新人の参入が途絶え、大学病院から市中病院へ医師が派遣されるシステムがストップしたことに真因がある。市中病院では派遣明けで帰局する医師の穴が埋まらず、次の年にはさらに帰局が加速した。大学病院でも、市中病院でも疲弊した中堅医師の予想外の開業が相次ぎ、研修医が集まる地域の基幹病院や都市部の病院を除き、全国の診療体制は著しいダメージを受けた。この間の医師の不足は1年間約7000人、2年間で1.4万人と推定され、質を求めた研修制度であったが皮肉な結果になった。厚生労働省は5年目の見直しを待たずに、失われた1・4万人の医師の回復を急ぐべきである。

急性期現場の医師数はこのペースでは増加する見込みはなく、医療需要の拡大は医師の増加速度をはるかに上回る。後期研修は選択の自由度が増している関係で、診療科と地域の偏在は今後も強まると予想され、自由診療の産科は高額な価格を生み、その分安価な出産が打撃を受ける。社会の需要と医師養成のミスマッチを解消する仕組みが必要となるが、厚生労働省には立案の資格は無い。医師がプロの集団として、将来の需要を加味した医師養成に責任を果たす中央組織体制の整備が必要である。

病床削減について

たった500億円の医療費削減の目的でシステムそのものがいじられた。政策の論拠は、「欧米と比較して日本の病床は極端に多く日本の病院の生産性の悪さを表す」という間違った仮説に基づいている。日本の病床は急性期から慢性期や精神病床も含んでいるのに反し、アメリカの病床は超急性期だけを指している。回復期以後はナーシングホームが役割を担っているが病床にはカウントされない。ホスピタル=病院と誤訳した考察は論理的に過誤である。過誤をもとに導かれた政策は成功するわけはない。厚生労働省は誤りを認めておらず、帳尻合わせに、急性期病院だけを残してあとを老人介護施設にする政策に走る可能性がある。人間は生物学的に同じだからどこの国でも経過は変わらない。医療提供体制をいじっても必要な医療がなくなるわけではなく、望みどおり医療費が削減されることは無い。増加する高齢人口に対応するために、病床数を減らし医師のマンパワーを規制する政策が本当に正しいと言い切れるのかを考えてほしい。

将来の需要増加に備えるのなら、病床数は削減せずに、高齢者ケアを行う安価な老人介護施設を充実し、療養病床に重症度に見合った診療報酬を設定するだけで十分である。高齢者の急性期入院需要が増加し、回復期から療養病床へと重症者の流れが増えて、療養病床の重症化が自然に起きると考えられるからである。押し出される格好で「社会的入院」は自然に介護施設に流れると予想される。

問題は療養病床を削減することにより生じるリスクを計算しているかということである。重症要介護者の受け皿が不足すれば急性期からの流れが滞る。受け皿がなければまた新しく病床作る事態は絶対にないのか?病床の計算違いがそこに影響することはないという証拠が必要である。介護施設を作るほうが病院を作るより簡単である。病院を残すほうが医療資源の節約になる。禁じ手は二度三度とは使えない。もし病床が不足する事態になれば医療機関がそれを行うことはない。普通の国であれば国が作ることになるが、わが国にその余力があるのかと思う。

高齢者には医療よりも収容が有効である。急性期に集約して治癒を狙い、障害の残る高齢者に再び社会に出て働けとでも言うのであろうか。高齢化社会では収容する施設は宝である、特にわが国では二度と作れない宝である。病床が多いことはこれからの社会に耐える力となる。

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