医療制度研究会 〜21世紀の医療を共に考える会〜

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投稿原稿

● 医学ジャーナリスト協会11月例会講演
「犬と鬼」と混合診療
医療制度研究会・済生会宇都宮病院副院長 中澤 堅次
 日本の風景や建物、美しい山や海は、世界に誇るものと日本人は誰も考えている。しかし、世界の観光水準から見ると最近の日本の評価は低く、訪れる外国人は醜悪な印象さえ受けるといわれたら日本人の誰もがショックを受けるに違いない。「犬と鬼」という本には思いもかけない事実が書かれていた。
【コンクリートで塗り固められる国土】
 「日本の国土そのものの現状、そこに見えてくるものは、ひょっとすれば、世界で最も醜いかもしれない国土である。」という言葉に始まるこの本は、必要も無い土木事業が国策として全国各地で行われ、多額な税金が投入された結果、日本中の川や海岸や山がコンクリートで塗り固められ、世界でもっとも醜いかもしれない国土を作ってしまった。その国土の破壊はバブルがはじけた今日でも続き、連合軍が爆撃をひかえた京都でさえ、日本人自身により破壊されつつあるのだという。これらの国土破壊には歳入の40%にものぼる公的資金投入され、その額は日本以外の先進G7を全部あわせたよりも高額である。日本経済はそれに依存してしまっていてそれがなければ経済が成り立たない状況にあるともいう。
【土建業の隆盛と貧弱な医療福祉そして株式会社参入】
 一方医療費を含む社会保障は、高齢者救済の需要が増えたにもかかわらず、抑えに抑えられて低迷を続け、急増した土木建設業とは対照的である。理由は、財務省は言うに及ばず、責任官庁である厚生省自らが医療福祉の分野の歳出を抑えに走ったからであり、そのおかげで医療の単価はアメリカの10分の1という安価な医療システムが実現した。際立つ特徴は、公的資金に自由度を持つ政治家や官僚と結びついた土木と、官僚天下りが少なく、それが理由ではないだろうが押さえに抑えられた医療福祉の違いである。
小泉内閣は医療サービスの低下が、医療費抑制政策によることを認めず、更なる抑制策を施行し、かわりに外国人医師の診療を目玉にした、株式会社参入、混合診療導入を規制緩和として何度も制度化することを試みている。混合診療の議論は単純で、利潤追求の株式会社を参入させれば、競争原理により経営に素人の医者がやるよりはもっとサービスが良い医療が実現すると考えている。そしてその財源を破綻しかかっている保険診療をベースにして、はみ出した分は自己負担でまかなえばよいと言うものである。
【医療は消耗産業だから社会保障の考えが妥当】
 政策の誤りの第一点は、高齢者中心の医療費の伸びを、製造業に対する需要と同じように考え、社会保障の視点から考えていない点である。車の品質を高めれば、輸送の能力が上がり流通にはずみがつく、車の使用が国民生活において質の向上をもたらすことは想像に難くない。一方、病気になると人は経済基盤を脅かされ、後遺症で周りの支えを頼みにしなければならない人も多い。医療を産業にたとえるならそれは消耗産業であり、利益を生むことは少なく、経済的な資金確保は、健康なときに残した貯蓄の切りくずしか、健康な人が支援する以外お金の出所はない。つまり高齢者が対象の医療は、利益を生む産業ではなく人道的な支援を行う社会保障システムとして考えられるべきものである。 
  問題は景気の良い時代に、「ありさん」のように蓄えておくべきであったものを、意味も無い土木工事や豪華な健康施設に投資し、あげくは二束三文で流しても自ら責任を取らず、破産の申告もない政治と官僚のシステムなのである。
【国民皆保険下での企業参入は公共投資と土木業界の関係に似ている】
 第2の誤りは、企業が医療の抱える問題を解決できるという議論である。社会保障を半分引きずった形の混合診療は、企業からみると一種の保護であり、公共投資を当てにした土木と対して変わらない。すでに官僚は医療の周辺産業である製薬会社に天下っており、公定の薬価が高いことは良く知られている。医療そのものに利潤追求の考え方が入れば、政治や官僚の力を利用した新たな天下り産業が誕生しないとは限らない。幸い厚労省は国の財政と混合診療による必要経費の膨大さに気づいているのでブレーキをかけているが、景気回復に打つ手を失っている財務省や政府の暴走が気になる。
【混合診療は医療費の無駄使いを生む】
 第3の誤りは、専門性が高くわかりにくい医療分野に、自由競争を導入する危険に気づいていないことである。先日私の病院の事務員との会話に、混合診療になったら検査に高い金を吹っかけて生き残るという話が出た。「この検査をすればお金は高くなりますが従来の方法より数段診断精度が上がりますよ」といえば需要はたくさんある、ガンの初期には症状がないのだから適応は無制限に広げられる。あと一年の余命と見込んだ医者が、「放って置けばあと半年、この薬を飲めば一年」といえば、誰だって飲みたくなる。今だってこれに類する診療を行う医師はいるが、今度は経営利益のために、企業が医師にやらせ、病人がこれを受けるという倫理上の危険が新たに加わる。30年前からアメリカでEBMが叫ばれたのはとっくにこのことを国民や医師や政府が気づいたからであり、ありもしない天災に備えて大規模な土木工事が出来る旧態依然の日本の政治システムのなかで行われれば、目に見えないだけに土建産業よりももっと始末が悪いとも言える。包括払い制度を見込んで、現場ではEBMに照らして必要の無い診療をいかに削るか、反対に削りすぎにどう対応するかと考えはじめているのに、いまから数十年前に戻る議論には我慢ができない。
【最先端の技術でも寿命にはかなわない】
  第4の誤りは、混合診療と医療特区で最高の医療が受けられるという夢を、実態を知らないメディアと国民に見させることである。今の保険認可の水準を維持するのであれば、国家や社会としてはWHOのお墨付きを持ち出すまでもなく世界一である。心筋梗塞発症の6時間以内に、心臓血管拡張術がほとんどの地域で誰でも受けられる国はそうはない。画期的にもかかわらず認可が遅れた優れた治療法はメディアが心配するほど多くは無い。どんな治療にも副作用はあり、新しい治療には副作用の把握がまだできていない。証拠がはっきりしてからはじめて保険診療として認可するのであれば、これは立派なEBMである。
高齢化社会ではどんな治療法でも寿命に勝てるものは無い。老いや死は人には避けられないものと腹を決めれば、高い金を払って最高の治療を求める必要はない。外国人の医師に最高の手術を受ければ、永遠の命を得られるなどとは、あの秦の始皇帝だって考えなかったに違いない。
【院長は医師でなければならないことの功罪】
 医師だけが30兆円の産業を仕切ることが問題という議論がある。病院の院長は技術者(医師)と決まっており、院長の上に天下りの官僚や企業の社長がたつことを許さない仕組みがこの誤解を生んだ。院長は医師である必要はないが、官僚であってはならない。国立病院の低迷は、終えた役割に公務員組織と官僚が固執していることが原因である。企業の社長が社会福祉を目的にした事業を行うのであれば歓迎する。しかし経営努力で資金を作り、困った人のために参入しようという企業が日本にあるのだろうか?医者がやるのであるからそれは社会福祉事業だと言い張るのもおかしいが、官僚や企業に参加する資格があるかといえばあやしいものである。社会保障システムのなかで役割を果たし、医療や福祉に貢献できるのならそのトップは医師である必要は無い。しかしそのために公的な援助を得るのであれば。それなりの監査は必要である。企業参入とセットの混合診療はこの監査を無効にする危険がある。杓子定規で実質の伴わない現行の官僚監査で曲りなりにも何とかなっているのは、医療全体が健康保険という枠にはめられ、利潤を産まないくらい事業に抑制がかかっているからで、混合診療でこの抑制が外れればいまの監査システムでは解決できない問題が一気に露呈する。それよりは医療や福祉を受ける立場を代表する人たちを含んだ新しい監査の仕組みを整え、政府は望ましい事業にはしっかりきめ細かに補助を出す。そうしないと良い福祉事業は育たない。必要なのは公的資金の利用を監査する仕組みであり、病院の長に誰がなれるかはその次に来る問題であろう。
【おわりに】
 高齢化社会における医療問題は大変に複雑で、安全を錦の御旗にお金をかける気ならば際限が無い。完璧な安全が目的ならば国土をコンクリで固めつくしてもまだ水害は起きるだろう。高齢化社会の医療にいくら金をかけても寿命には勝てないだろう。損得利害の議論はもっと深いところで考えなければ国を誤ることになるが、高齢者の本当の幸せは見方によってはもっと簡単なものかもしれない。「犬と鬼」の筆者アレックスカー氏は中国の故事を上げて、「鬼は実在しないが絵には描きやすい、犬は実在するが絵に描きにくい」と解説する。年老いた国民にとって鬼はいらない、国を愛する目でしっかり犬も描かなければならない。
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