講演会
●第37回医療制度研究会講演会
天外伺朗氏は二つの顔を持っておられる。一つは、業績不振に陥った一時期のSONYの技術開発部門でエンタテイメントロボット・アイボの開発を行い、SONY復活の原動力になった技術責任者、土井利忠氏という顔であり、もう一つはホロトロピックセンターという団体で人の生き方に関する社会活動を推進されている天下伺朗氏という顔である。当研究会の幹事の本多が天外氏の活動に心酔し、混乱を極める医療に、一つの解決となる思想として紹介したいとお願いし御講演が実現した。
氏の研究は量子力学、発達心理学、脳科学など、ロボット開発の分野から、ユング、フランクル、また東洋医学、インドの伝統医学であるアーユルヴェーダにおよび、アメリカインディアンの統合の会議ではパイプホルダーという指導的なお立場で参加した経歴を持たれる。現在SONYインテリジェントダイナミックス研究所の代表取締役というお立場にあり、社会的な人間形成の活動とも言えるホロトロピックセンターは、九州、銀座、北海道などに活動拠点を広げている。著書には、『人材は不良社員からさがせ』『理想的な死に方』(徳間書店)『意識学の夜明け』(風雲舎)『運命の法則』(以上飛鳥新社)他多数。
天外伺朗は怪しい名前、と言われるように、氏はマハーサマディーという死に方研究会を最初に立ち上げられた。そのきっかけは父上の死だったといわれる。父上は生前から死を覚悟し、葬式の写真を準備し、みんなにお礼を言うという死のプロセスをきちっと自分で計画していたにもかかわらず、最後は病院の集中治療室で、気管切開をして挿管され、管を抜こうとするので手を縛られ自由を束縛され、心を閉ざしながら家族に看取られること亡くなられたといわれる。
マハーサマディーは瞑想しながら死ぬことを意味しているが、スピリチュアルな意味ではなく、ヒンズー教では実際に死に至る儀式ととらえられているようである。この会はのちにホロトロピックセンターとして改名されるが、氏はロボットエンジニアとしてのキャリアのなかで追及された量子力学、深層心理学、宗教などが、究極的に同じようなところに収束し、その結果さまざまな未解決のなぞが解けてくると述べておられるように、死に方研究会に始まった活動は、科学、哲学、宗教など多方向性をもった活動に広がっている。
ヒンズー教では指導的な僧侶が死ぬときにマハーサマディーで死ぬといわれ、実際にそのような例も報道されるという。師の死に当って弟子はみんな笑顔であり、一般的な死とは異なっている。儀式が確立していて、死ぬ時間まで決まっている。死に行くにあたって本人からの挨拶もある。ヒンズー教は死に方の方法論にしっかりした伝承があり、マントラとして継承したものを人に教えてもいけないなど厳格な制限の中で行われているようである。
その一方で「四」という数字が嫌われるように、現代人は死から目をそむけており、これは不自然な生き方であると氏はいわれる。洋の東西を問わず哲学では、死と直面することにより、人生の一分一秒が光り輝いてくるという一致した考え方がある。また人間は一般的には自ら魂を成長させるという宿題を背負って生まれており、これを意識の成長進化という。発達心理学からいうと、自我の確立から自我を超えた宗教的世界に入るところまでいくつかの段階がある。この進化は大変で一般的には後期自我、すなわち独立した自我が確立し、自分を理性でコントロールして立派な社会人が演じられることだが、日本人の多くはここまで行かず、中期自我つまり依存が残った状態でとどまっており、会社や肉親、また新興宗教などに依存している。この段階から後期自我に進化してゆき、さらにその先もあるがこの段階にいたることはさらに難しい。
後期自我に至るプロセスは、さなぎが蝶になるようなものであると氏は言われる。すなわちさなぎは一度死ななければ蝶にはならず、そこに死の恐怖が必ずおきる。死の恐怖が出てくると、そこで生じる意識の変容に対してものすごい勢いてブレーキをかける。たとえ殺人犯であろうと人はだれもがもっと高いところに行きたいと考えて、いつもアクセルを踏んでいるが、死に向き合うと個体の保存本能でブレーキを同時に踏む。アクセルとブレーキを同時に踏んでいる状態が人間といえる。この状態で死から目をそむけていると、この階段は上って行けないが、死と直面することによりこれが上りやすくなる。この段階に及んで、マハーサマディー研究会も意識の成長進化ということにしっかり考えをもたらし、意識を持って生きようではないかという考え方になり、これがホロトロピックセンターになったといわれる。
病気は意識の成長進化に重大な影響を与える機会となる。意識の成長進化がもたらされることを実存的変容といい、人々は病気によって実存的な変容を遂げ、今までとまったく違ったところに着地することになる。このようなことは病院で実際に起きているが、医療者は意識を払っていないし、気にも留めていない。なぜ病気がきっかけになるのかというと、人々は病気になってはじめて死と直面し、時には人生のすべてを失い、お金も稼げなくなる。はじめて死と直面することによって実存的変容が起きやすくなる、意識の変容という立場から見る病気は実存的変容がおきる良いチャンスで、これをサポートしてあげるとその人の人生がころっと変わる。それを推進するのがホロトロピックの大きな目的だといわれる。
氏は瞑想の指導もやっておられ、インディアンが3000人くらい集まった大会に長老として参加された。インディアンの世界で医者に相当するのはメディスンマン、メディスンウーマンといわれるが、身体的のことだけではなく、精神的なことや運命のこと、祈りの儀式もやる。サウナみたいなもので治療もする、しかし医療は奉仕であると決められていて彼らは金をとらない。彼らは貧乏だがすごく尊敬されハッピーであるという。
その2年前カナダで開かれた集会にハーバード大学の講師がきており、著書を送ってきた。その本には日本の医療は天国のように書かれている。アメリカ人やカナダ人から見ると日本の医療は良いといわれる。実際にそうだと思う。クオリティーが高い、良心的誠意を持って医療に当っている。あらゆる面で日本のほうが良いと氏はいわれる。アメリカでは貧乏人は医者に見てもらえない。がん患者はその間に死んでしまう。代替医療が進歩したのは医療がグジャグジャだからである。日本で統合医療が発達しないのはアメリカなどより医療がよく患者を診ているからである。日本の医療が壊れてきているのは、アメリカを追って破壊された医療に進んでいるからである。小泉内閣の医療制度改革は、医療費のカットと自己負担の増加以外には何もやっていないと述べられた。
その一方で、国民皆保険で腕が良くても悪くても同じように収入が得られる日本の医療制度はシステム上基本的な欠陥があるといわれる。インディアンの医者と同じく、江戸時代の医者も治療費をとらなかった。その代わりに盆暮れには患者はたくさんの御礼を持っていく、腕の悪い医者のところにはお金が行かない仕組みである。保険診療では中途半端に腕が悪い医者がもうかるようになっている。腕が悪い医者のところには患者が来なし、ほんとに腕が良い医者はすぐに治ってしまって商売にならない。いい医者がもうかるというのがいいシステム、現在のシステムはエンジニアの目から見ると基本的なシステムの欠陥とうつる。良くも悪くも同じ報酬で、みんなが掛かるからお金が掛かり、政府は保険点数が上がらないように締め付ける。医療の内容がどんどん悪くなっていくというのが現実である。
良い医者というのは病気になってから治すのではなく、普段から病気にならないように指導しケアすることが必要と氏はいわれる。漢方の基本は養生、病気になる前に治療する。未病といっている。漢方医は自分のクライアントが病気になると医者があやまる。漢方の医者で一番偉いのは食医という食べ物に関する技術を持った医者である。インドの伝統医学アーユルヴェーダもそうである。
西洋医学は効果があり、西南戦争のときに戦傷を負った人の治療効果に明治政府がびっくりした。その後政府は積極的に導入しやがて西洋医学一色になった。現代では漢方も盛んであるがどこか違う。和漢薬学会という学会でキーノートスピーカーとして呼ばれたことがある。発表は漢方薬の効果を科学的に実証する研究が主流だった。腸内細菌と免疫インタロイキン6との関係から漢方薬の効果を証明する類の発表が延々と続いた。発表内容はすごいが、考えていることは全部間違いではないかと思うと氏は断言された。東洋医学は大きな土俵で勝負して来た。現在は西洋医学の小さな土俵の中で戦っているように見える。西洋医学の研究者の数は四桁違う。そこで戦っても勝ち目はない。東洋医学は本来もっと大きなものであり、基本に戻って考え直したらいいと講演では述べられたそうである。
ホロトロピックは実存的変容が目的であるが、病気にならないようにケアすること大きな柱である。将来ホロトロピックセンターが言っているようなことが当たり前になれば、今の保険診療より半分くらいの費用で良い治療が出来ると思う。病気にならないような指導をすると、患者も喜ぶしホロトロピックセンターも儲かる。クライアントがハッピーになることがホロトロピックセンターの利益と一致しているからシステム的な欠陥もない。今の医療システムは、病気が治らなかったり、病人が増えたりしないと医者はもうからない。患者が不幸になれば病院がもうかるという悪いシステムである。西洋医学のパラダイムは根本的に間違ったシステムの上に構築されている。病院がなくなればみんな幸せになり、すぐには出来ないとしても、ホロトロピックになったら究極的な改革になる。
こんな病院がほしいという毎日新聞の企画で、6人の共著者がいて話をした。医師のほかに二人いたがその1人が私。もう1人は末期がん3ヶ月といわれたが病院を逃げ出して瞑想しているうちに直ってしまったという人だった。そんな人が多いと氏は言われる。
医者は、余命を言い当てると名医になる。同じことをブードゥ教の医者がやると、あの医者ののろいは良く効くということになる。このごろは治る人が出来てきたからのろいは当たらなくなってきた。この活動に賛同して一緒に運動する医者が増えている。患者は多いが保険点数はつかないから収入は少ないが、コストがかからないから悪いことではない。
多くの医者は代替医療に嫌悪観を持っている。中にはひどいのもいて実際代替医療をやる人のかなりの部分は安全ではない。いい加減に治療してグシャグシャになった人が病院に行くからその通りに見える。反面上手に使うと良くなることも事実で、言っていることは両方正しいと思う。アメリカでも同じである代替医療の半分は詐欺師である。気功を例に取ると、気功を教えると病気になる率は統計的にも相当下がる。そこまでは何とかなるが、実存的変容を遂げるまでに行くのは難しい。ユングの言葉である実存的変容は医学部では教えない。
「実存的危機」という言葉を、アウシュビッツに収容されていた「夜と霧」で有名なフランクルが提唱した。例をとると、有名な学校を出て有名な会社に働いているエリートが、あるときふと自分は何なんだろうと悩みだす。実存的危機は命の悩み、命の危機に接したときの根本的な変容を実存的な変容といっている。さほど難しいものではなく、医療機関がよく出している患者のインタビューにも登場する。普通は病気が治ってよかったというが、病気になってよかったと感じ、病気で180度人生観が変わる人がいる。介入しなくても何人かの人はそれを実体験している。それをもっと促進させたいと思う。注意することは、医療側はこれをひそかにサポートすることである。いくら実存的変容があるからといっても、医者が「病気になってよかったね」というのはまずい。今の苦しみを救ってほしいと来ている患者の要求に誠実に向き合って、チャンスが見つかったらひそかにそれをサポートする。実存的変容は意識の成長進化の中で大きなステップのように感じられるがそうではなく小さなステップと思う。
心療内科の池見猶次郎氏がこの言葉を使っていた。彼は末期がん患者の奇跡の治癒をするということがあるといい、これには実存的変容が必要だというのが文脈だった。私は逆にして、病気が治るために実存的変容が必要なのではなく、人間にはこれが大切な主題であり、意識の成長進化に実存的変容が必要であるといっており、これがホロトロピックの根本的な思想である。実存的変容は良いことと思われるが、それは決していいとか悪いとかの問題ではない。社会的な枠を作っていたことを壊す、壊して生命の躍動の中に戻ってゆくという、それが実存的変容の意味することである。石部金吉のような人が突然女に狂う、それも実存的変容である。普通はエロ爺が女に狂ってなるが、あの爺様が実存的変容をなさったとなる。なかにはその変容が社会に反することもあり、破綻することも十分考えられる。
見せ掛けだけの実存的変容もある。後期自我は表面的な理性で自分をコントロールして立派な社会人が演じられることだが、演技が出来るだけのこともある。ブッシュ大統領は後期自我の典型だという。シャドウのプロジェクションといって、自分の気に入らないことを無意識に抑圧している。それがたまるとふつふつと衝動がこみ上げてくる。自分で抑圧するが不快感が残る。ついにはそれを他人にすりかえる。自分がいやだと思ったことが今度は他人になる。陰を認めることが死の恐怖になり、その嫌悪感を他人に添加すると、相手は悪の枢軸ということになる。自分は正義で悪を作ってその悪に向かって戦っていく。後期自我の特色は戦闘的である。敵と戦っている間は安定し、社会は活性化するが、まだ変容になっていない。
社会の上層部はまだ一歩手前、だから日本は安定しない。その枠を破っていくことを医療者が手伝いをしようというのがホロトロピックの思想。言うのは簡単だが、誰にでもできることではない。トレーニングが必要だがそれが出来る人は少ない。ハワイに吉福伸逸というトランスパーソナル心理学を日本に伝えた人がいる。その人を引っ張り出して、医療者に限定して講習会をやった。一般の人が入るとちょっと方向が変わってしまうのでこのようになった。これらの機会をきっかけに教育のサポートが出来る人が増えていくことを願っている。
氏はここで講演を終えられ質問を受けることになった。そのいくつかを紹介する。
質問:病気を一生懸命なおす人もいれば仕方がないとあきらめる人もいる。他力と自力という生き方の違いはどう考えるか?
回答:良い悪いはなく、それぞれの姿がある。他力と自力は別のものであるといわれるがそうではない。阿弥陀様にゆだねなさいというのが他力。道元は、悟りを開きたい、涅槃に入りたい、瞑想状態になりたいという目的意識を捨て、タダひたすら座れという。他力も自力も同じで、阿弥陀さんが助けてくれるから頑張っている。他力の中にもガンバリズムはあり、自力の中でもゆだねるという発想はある。阿弥陀を信じなくても宇宙にゆだねるという意識が実存的変容には必要だ。
質問:良い死に方に関して、死を正しく理解し、乗り切ることが出来ればいろいろな解決が出てくると思うがどうか?
回答:死は怖いもの、死にたくないということのほうが正しい、死の恐怖から逃れることは出来ない。怖いけれども直面し見つめることにより実存的変容が期待できる。ホスピスでは死を諦観することを強制している、死を受けいれたといっても、表面的に受けいれただけのこと。死を怖いとじたばたしている人のほうがはるかに自分に正直だとおもう。ごまかしを排して自分のもっと深いところで死とつながってゆくということが大切である。
質問:病院は死の恐怖と戦うという使命?を持ってきた。多くの人は死の恐怖を回避するために利用されている側面があり、高齢化が進み病気が治りにくくなるにつれて、医療が死を回避できるという考えは現実的には成り立たなくなっている。医療と死に付いての考えはどうか?
回答:医学が進んでも死の恐怖を克服することは出来ない。西洋医学にとって死は敗北であると捕らえている。しかし、死から目をそむけていたら、本当のところはわからないし、患者の利益にもならない。医師も患者も死を認め合わないところで医療が行われなければ本物ではない。われわれは出産問題も研究している。岡崎にある吉村医院では、一切の医療介入をしないお産を20年間やっている。妊婦はお産直前まで働き、電気もない生活をする。そうすると危ないといわれていた産婦がするっと安産になる。お産を受け入れるときに、あなたは新しい命を産むのであるから死ぬかもしれない。あなたも命を懸けて産んでください、私は医療介入をしないというところからはじめている。そこまで言い切って決定すると医療の一つの姿を見る気がする。参考になればと思う。
Copyright (C) 2006 NPO Iryoseid Kenkyukai. All Rights Reserved.