医療制度研究会 〜21世紀の医療を共に考える会〜

第26回 未然防止・医療と製造業の間で < 第21回 〜 第30回 > 第30回 これからの日本の医療・看護海外との比較で考える

講演会

●第27回医療制度研究会講演会講演要旨

「いま患者が医療に望むこと」


POささえあい医療人権センターCOML代表 辻本 好子 先生
◇ COMLの創設と活動
  COMLは、医療を受ける患者の背中に回って応援活動をしようというというところから始まった。 COMLの「C」は消費者consumerの意味で、医療に消費者の目を向けようということを意味して いる。合言葉は「賢い患者になろう」だが、はじめのうちは医師からさまざまな反論があった。しか し14年目の今日は時代が変わり、提案した医療消費者という言葉はもはやごく一般的なものとなっ ている。主な活動である電話相談は月に約350件、長ければ1〜1.5時間も応対にかかることもある。 スタッフは医療者では無いため、専門的な内容に踏み込んだ回答はできないが、できることがひとつ だけ残されている。それは話を聴く、傾聴するということ。まず思いを吐き出していただくことで、 自分を見失わず、冷静に自分が問題解決の主人公になるができ、主体的に医療に参加することができ る。そのことを、電話相談を通して応援メッセージとして伝えていくことを主な活動としている。


◇ 患者中心の病院理念?
  よく病院には患者中心の医療を行いますと書かれているが、実際には患者の思いが通らないという 相談が多い。サービスは良くて当たり前、感謝はしない、こんな目にあったから誰かに聞いてもらい たいという。わがままも含んで被害者意識が強い相談に対しては、まずお話を拝聴することから始め る。話を聞いているうちにたまった思いを吐き出すことで気持ちが変わる。気持ちに余裕ができたと きに、はじめてこちらからの問いかけすることにしている。たとえば、患者中心の医療はなんでもわ がままが通ることを言っているのではない。医療を受ける側と提供する側が一緒になって患者中心の 医療をともに構築しましょうという精神で取り組んでいるのです、と説明して理解を求める。また医 療を受ける側にも自分の思いを自分の言葉で医療スタッフに伝えられるように成熟することが求め られていることを噛み砕いてお話しする。
  多くの病院は理念を玄関に表示している。しかし病院のスタッフが理念を受診者に説明し、内部で 議論しているかといえばそうではない。患者の求める思いにしっかり向き合い、院内のコミュニュケ ーションを良くする、このことが危機管理にもつながっていくと思う。患者中心の医療を理念に掲げ ているのであれば、スタッフ全員が自信をもって、自分の行動の規範とし、それを患者さんに語りか けることができるような風土を作っていただきたいと思う。


◇ 医療を受ける人の願い
  患者のねがいは、安全あって欲しい、そして安心してかかることができ、この人に出会え、大切に 扱ってもらって良かったと感じること。つまり「安全と安心と納得」と要約することができる。1997 年以来続いている医療制度改革は、人・物・金・ソフト・情報という側面からの議論だけで、安全と 安心と納得を求める患者の声が届かない。改革が患者と医療者との関係を改善しようという方向では なく違った方向に向いているのではないかという思いを強く感じている。医療制度の改革には正解は 無く、患者の意識も医療者の意識も、人の意識が変わることは難しい。しかし思いがあれば技術もつ いてくるし、対話も生じると感じている。安全・安心・納得、この人に会えてよかったという思いは 患者と医療側が正面から向き合うことでしか伝わらない。
  もともと医療サービスは受ける相手によって異なるもの、相談のニーズも一人ひとりちがう。画一 的に流れやすい医療と個別性を求める患者との間にギャップが生じていることで相談が寄せられる。


◇ 病状説明に関する行き違い
  こんな話があった。陰嚢水腫の手術をした2歳のお子さんを持つ親から、術後の傷あとから糸が出 てきたのは医療ミスではないかという相談をされた。結論を言う前になぜそうお感じになるのかを聞 くと、一つのことに不信感をもってしまうと、看護師の言動、医師の態度、あげくは医療費を2重取 りされたかもしれないなどと不信感が次々に広がってしまっていることがわかった。じっくりと話を お聞きしたあとで、「糸が出てくるのはよくあることで、ミスとは関係が無い」ことを伝えると、意 外にも「やはりそうですか」といわれる。何のことは無いCOMLに相談する前に医師に直談判を済ま している。医師はまともに向き合うことなく歯牙にもかけない態度で、よくあることと説明した。気 に障ったのでわかるように説明を求めた。そのときに医師が言ったたくさんの言い訳のなかにそんな こともあった気がするといわれる。電話相談で医療不信の訴えは30%を超えるが、医療を受ける側の 心理には依存と不信という2つの相反する思いがあり、そのせめぎ合いに中でちょっとしたきっかけ ですべてが不信感にかたむいてしまい修復が効かなくなるということを示している。


◇ インフォームドコンセントの望ましいかたち
  乳癌と診断された34歳女性は胸のしこりを人間ドックで指摘され、病院を受診し検査を受けた。 結果を聞きに言った当日、医師はそのしこりが癌であることを告げ、4通りの治療法を丁寧に説明し、 さらに詳しい内容を書いた説明書を渡された。よく読んでそのうちのひとつの治療法をあなたの責任 で選択し、1週間後までに決めてきてくださいといった。戸惑いを隠せないでいる本人の思いをよそ に、医師は間髪を入れずに次の患者さんを呼ぶように看護師に指示をしていた。インフォームドコン セントの公式どおりの対応で文句の付けようも無いが、その人はがけから突き落とされる気持ちがし たと言われる。
  私たちは情報がほしいといい続け、いまでは情報提供は当たり前になった。アクセスをすれば沢山 の情報を得ることもできる。しかし、情報がありさえすれば自己決定ができるわけではない。情報は 安心と安全をもたらすわけではない。何が必要なのかというと、ともに考えるということ。医療を受 ける本人にとってどれが必要なのかを一緒に考えてくれるということが求められているのではない かと思う。その女性は未婚で子供を作る可能性はなく、乳房をとることに関しては抵抗を持っていな かったが、温存療法の説明はされなかったし、仕事上あるプロジェクトのリーダーをやっている関係 から、通院で済む治療法があれば仕事を続けながら受けてみたいと思っていた。その人が医師に求め たことは、プロとして“ともに”この問題を考えてほしかったということであると思う。自分の物語 を語ることで自分はなにをしたいかということを一緒に考えてもらうことができ、自分で最後まで責 任を持って意思決定ができるように支援してくれる環境が今こそ病院の中に必要であると強く感じ ている。
  阪大医学部教授だった故中川米造氏が生前ノートに書き付けていた一文に感銘を受けた。それには 「医師が問題にするのは一個の生命体、すなわち逆境の中で自己のアイデンティティを守り抜こうと する個人としての人間である」と書かれていた。氏は腎癌にかかっておられたが、化学療法と放射線 は受けなかった。自分の命のなかでやりたいことをやり、在宅でご家族に看取られて亡くなられた。 避けることのできない死に向かうひとりの人間として書かれたもの、あなたの向かい合う患者はこう いう時にこういう状態なのだと語りかけているように思った。


◇ インフォームドコンセントの提案
  インフォームドコンセントの議論の中で、「批判をするのなら代替案を提示しろ」と医師会の理事 から罵倒されたことがある。そのときは引き下がるしかなかったが、私なりに考えてみた。医療行為 を行うに当たり、説明をすることと最終的に患者の同意を取り付けることは医療側の責任であり義務 と考える。受ける側は結果に対する責任を自分で引き受けるという覚悟をする。自己決定するために は説明の内容を自分のものとして理解する必要があり、理解のためには双方向の対話が保証される必 要がある。納得しない場合は質問を入れ、自分が抱えている特殊な状況も対話の中に入れて検討する。それに第3者の意見を加えて参考にしながら、最終的に自己決定を行う。それにより受ける側がお任せや、何を質問していいのかわからないという甘えはなくなる。その決定に関する手助けに電話相談 を位置づける。状況について納得した後で自己決定(インフォームドチョイス)が生まれる。
  私は2年前に乳癌になり、今日ある医療の力をすべて試してみようと自己決定をした。友人は同じ ような状況ですべての医療を拒否する逆の決定を行った。彼女が自分できめたこと、家族もそれを理解している。そして生き生きとしている。自分で決めたことに自分自身が最後までこれでよかったの だと納得して生きられるような環境が必要なのだと思っている。


◇ 全の構築とコミュニケーション−患者を含む情報の共有
  安全であって安心し納得したいという希望の中で、医療事故の問題解決はシステム上にあるという のはよく知られた結論である。システムを変えるためには人やものや情報が必要で資金がいる。31 兆円という枠の中で日本にでは遠い話と思うが、安心と納得のために、一人一人が人間対人間として どう向かい合い、インセンティブをどう高めるか、それには人の配置を変えることも必要だし、医療者の意識改革も重要である。一人の人間と向き合うのだということを教育し学習していただくことな ど、解決しなければならない多くの課題がある。いろいろな解決方法があると思うが、わたしは情報 を共有し人間として向かい合うことを強調したい。協働するという意識の中で、医療を受ける側も参 加し同じように意識改革をする必要を感じる。COML創設以来協働ということにこだわってきた。「協 働」とは、辞書には「足りないものを補完し合う関係」と書かれている。COMLに求められているのは この補完関係と思っている。
  2001年のヒューマンエラー部会で安全に関する10の要点の作成に関係した。この内容は安全のた めの基本ということである。基本に関して、NHKアナウンサーの山根基世さんに、人の話を聞く奥義 を語ってもらったことを思い出す。山根さんは「プロとはいい意味でのアマチュアリズムをもち続け ること」といわれた。インフォームドコンセントに置ける医師と患者とのギャップを日ごろから感じ ている私たち向けの講演であったが、常に振り返って基本を大切にするという言葉に感銘を受けた。 実際の医療事故の内部調査に第3者として立ち会い、事故の内容を詳しく聞く機会があるが、病院は 縦割りの関係が強いために、スタッフ間の連絡やコミュニケーションなど、基本になる人間関係が欠 落していると感じることが多かった。


◇ 岡山大学小児科学生実習の宣言
(1) 私達は、子どもたちが希望する名前で呼びます
(2) 私達は、いつも笑顔で子どもたちの目の高さでケアを行ないます
(3) 私達は、子どもたちとの約束を守ります
(4) 私達は、誕生日など子どもたちの記念日には気をつけます
(5) 私達は、子供たちがいつも清潔で、心地よい環境で過ごせるようにします
(6) 私達は、眠っているときに無理に起こしたり遊びの邪魔をしないように、子供たちの日常生活を可 能な限り妨げないようにします
(7) 私達は、子供たちがつらいときに、大声で泣いたり、叫んだり、嫌だといえるような環境をつくり ます
(8) 私達は、子どもの疑問に対して、子どものわかる言葉で、理解できるように説明を行ないます

◇ 希望する名前の呼び方
(1)は希望する名前で呼ぶとある。最近、病院ではよく患者様という言葉を使うが違和感を覚える。 採血する職員に「○○さま! ハイ手を出して!!」といわれたという話がある。さまの呼称は形骸 化してしまって思いがついていかない。介護施設に入所している高齢者が「わしはおじいちゃんと呼 ばれる筋合いは無い」と心を閉じてしまって困ると孫から相談があった。スタッフは話も聞かない頑 固なおじいさんと誤解している。希望する名前で呼んで欲しいというだけなのに人間関係全体がおか しくなってしまう。コミュニケーションが大切と思うなら、スタッフから自己紹介をし、なんと呼ん だらいいのか聞いてくれたらいいと思う。医学部でOSCE(オスキー)という客観的臨床能力試験がお こなわれ、その一環としてマニュアルチックな医療面接が教育に取り入れられている。基本を身に着 けたらそれぞれの現場で経験をつみながら、人間的なコミュニケーション能力を身に着けていってほ しい。臨床研修の指導者には、研修医は指導者の背中を見ながら育つということをよく認識してほし い。


◇ 笑顔とアイコンタクト
  (2)には笑顔とアイコンタクトのことが言われている。笑顔は忙しさの中で忘れることが多い。私が 乳癌の手術で入院したときも、笑顔とアイコンタクトにはあまりお目にかからなかった。看護師にも いろいろなタイプがあり、能面のように笑顔がなく、決まりきった質問しかしない人もいたが、笑顔 がありきちんと目を見て、あなたのお役に立ちたいと思っていることを感じられるナースもいた。その病院のクリニカルパスには二週間の予定がかかれていた。12日後に大阪市立大学の研修医130人相手に90分の講義があり、そこに社会復帰の焦点をあわせていたので、10日で退院しようと思い、ウォーキングシューズをもっていって術後すぐに階段の上り下りをやった。ナースの協力が必要と感じ たので、笑顔のあるナースを選んで頼むことにした。自分がやっている仕事、始めた動機、私的な人間関係の問題など話したことをノートに書いてナースに共有してもらった。10日がたって退院を申し出たときに、笑顔を見せてくれたこの看護師たちが声をそろえて「この人なら大丈夫、退院できる」 と医師に言ってくれた。
  その後執刀した主治医が転任になり新しい医師が主治医になったが、コミュニケーションを築くこ とが難しく、検査の結果を聞いた後でも「こっちを向いてよ」という気持ちで働きかけているがなか なか見てもらえない。忙しいことはわかっているが「特に心配ないですよ」という言葉だけでは無く、 せめて目を合わせて、転移を心配して検査を受けた患者のすこし揺れた気持ちを感じ取ってほしいと 思う。
  会計の窓口の事務員は、お大事にという言葉は添えるが、受診者の目を見る人はいない。そのときの目線は次の人の会計書にいっている。目を合わせるだけで受け取る感じが大きくかわるのにと思う。


◇ 病院には泣く場所が無い
  (7)に「泣いたり叫んだりいやだという環境」と書かれている。病人にはつらいときに泣いたり叫ん だりしたいときがあるが、病院の中には泣ける場所が無い。手術の翌日、私はその結果について主治 医から詳しく説明をきいた。こみ上げてくるものはどうしようもなかった。しかし病院の時間はその 気持ちとは無関係に進み、明るくおはようと声がかかる。電話で身内にシリアスな報告をしたときに も両隣に人がいたし、電話が空くのを待っていた人もいた。その中で泣くのは難しい。チャペルのよ うな場所があるといいなと思った。家に帰って第三者のいない空間のありがたみを実感した。
  自分の意志で手術を受け化学療法も受けようと決めた私は、つらいことでも自分で選んだ道と考え て泣いたことはなかった。しかし化学療法の5回目は体がつらく、死んだほうがマシと思うくらいに 追い込まれた。そのときにはじめて泣いた。涙が不思議に思うくらいたくさん出た。弱音も吐き、も ういやと思い切り叫んだ。そのあとからすっと気が楽になり、もう一人の自分がいて、逃げ出すな、 立ち向かえ、といって励ますという心境になった。感情のままの思い切り泣くことは自分自身を失わ ないために力になると感じる。症状の苦痛ゆえに起きるこのような感情の発現を、そのままに受け止 めてくれ、一緒に頑張ろうと言ってくれる人がいることが、病気を持つ人が求めてやまない医師との 出会いということだと思う。
  最後の点滴のときはまた別な体験をした。友人知人が手紙やメールで最後だね、よかったねとたく さん応援してくれた。前回低かった白血球がその日は3000を超えていた。医師は「すごいね、体が反応している」といった。暖かい人の支えは病人を元気つける。医療者の応援は病人にとって特に大 きな意味を持っている。あきらめないでこの活動を続けようと思っている。


◇ COML電話相談で年度ごとに増える医療不信
  阪神大震災のあと電話相談が増えた。問い合わせに応える内容だった。避難所に何でも相談に乗る ことを書いて被災地に貼って回った。そのピークはすぐに落ち着いたが、97年第3次、02年の第4 次医療改革があり、相談の数が増え右肩上がりになっている。権利意識が強くなり、コスト意識が上 がり、医療費にかかる相談が増加した。多くの場合その人たちは説明を受けているが、納得していな いために説明してもらったという実感が無い。そして2001年以後医療不信が助長され、弁護士を紹 介してくれという話も多くなった。医療訴訟は10年前の倍である、日本の医療は訴訟でよくなると は思わないが、そうならない前に現場でお互いに納得しあうことが本当の解決なのだと思う。このと ころ増加しているのは医療費の問題である。金額に関するようなささいなことでも医療不信に陥ると 次々に別の不信が膨らんでくる。領収書を渡す窓口の隣に診療の内容を説明するコーナーを設けて欲 しいと思う。医事課の参加も必要と思う。
   情報開示を求める相談は意外と少ない。インフォームドコンセントが普及し努力の結果が出ている のかもしれないが、内容も文字もわかりにくいカルテを見ても仕方が無いと思っているのかもしれな い。医療を提供する側と受ける側の立場と役割の違いをお互いを認識していかなければならないとい うことかもしれない。社会学者の鶴見和子さんが「異なるものが異なるものに、互いに足りないこと を補い合える新しい人間関係を、世界も日本も求めていくことが必要」と述べられていた。医療でも 同じ、お互いに完璧であるはずは無い。不完全のものをお互いに補い合うという新しい人間関係を作 ることなのかと感じている。 情報公開とそれを受ける側の間には深い河が存在する。そこには間をうめる心の架け橋が必要であ る。権利を主張するだけではない。その反面として義務もあること、医療側には100人の不特定多数 だが、医療を受ける本人にとっては唯一の主治医、このギャップは本質的なもので、それだけに埋め るのは簡単ではないが、夢と希望としてしっかりと考えて行きたい。


◇ ナースに関する電話相談の内容
  ナースへの苦情も少なく無い。ただ感じることは、これだけ高い専門性と役割と持つ看護師の仕事 は十分に理解されていない。入院経験のあるひとには看護師の役割をある程度わかっていても、外来だけしかかかっていない人にはわからない。これからは患者にとって最も身近で層も厚い看護師に期 待を抱いている。患者を含んだ病院の人間関係にどうかかわっていくか、私たちもナースの仕事を理解していただくような働きかけをしていきたいと思っている。
   終末期医療を受けた人の家族から診療内容に納得がいかないので訴訟を起こすという相談があった。危篤状態の時ナースステーションから笑い声が聞こえてきた、その人はこんな意識だからと怒っ ていた。スタッフにとっては24時間過す日常の職場、笑うことくらいという考え方もわかる。でも肉親の死に立ち会うことは一般の人にとっては非日常、そのときに感じることも理解できる。だから 深い河があるのだと感じる。開放的なオープンカウンターのナースステーションでは、医師と看護師の間でのなれなれしい言葉や動作も誤解をうむ。誰かに見られているという意識を持つことが必要と 思う。
   酸素吸入のご主人を見ていた妻から、ナースコールを押してナースがくるまでに平均何分かかるのかと質問された。少しでもあわてたふりをすればすこしは納得できるが・・・。処置が終わった後で 手袋を外してゴミ箱に捨てる動作が、いかにも汚いものを投げ捨てているという感じで腹が立ったという。ある病院でその話をしたら勢いよく捨てないと命中しないといわれたが、後ろ姿まで見られる 立場であるという意識を持つことは必要と思う。
   言葉遣いの苦情も多い、まなざしが上から下に注がれていると感じることに腹がたつという。臨床研修の病院では指導、教育、介入、評価という言葉がよく使われる。仕事として仲間内でつかうには 問題ないが、言われる立場になると怒る人も多い。孫より若い小娘に指導される筋は無いということになる。使う前にこういう言葉を掛けるがいいかどうかとチラッとでも考えみる注意が必要と思う。 そんなひまが無いといわれることもあるが。注意することに時間はかからない、思いだと思う。この言葉が相手にどう取られるかを、事前に考えることは時間と関係ないと思う。厳しいことを申し上げ るようだが、プロだったら当たり前、医療人に必要な意識改革に属することだと思う。医療人として言葉や行動がこれでいいかということを仲間と語りあう、注意をしてもらったことを喜びとできるよ うなシステムや風土が病院の中にできればいいと思う。


◇ 代別に見る相談者の特徴
  電話相談は地域差もあり、世代によってニーズも違う。年代の相違は興味深い。70〜80代の人は遠慮深げだが、医療人は親切でやさしく親身になってくれればそれでよいという。完全におまかせとい う感じの人が多い。
  次の世代50〜60台になると、親の世代が良しとしていた親切・丁寧は当たり前のこととして考えるようになる。そして自分に関係する情報はすべてよこせといわんばかりに権利を主張する。かたち ばかりの民主主義で教育を受けた時代、理想や権利を教えられても両親は古い価値観の中で変われないでいる。いっていることとやっていることがかみ合わないという2重構造の中にいる。自分ががん になったときにはかくさないでほしい、でも年老いた父には絶対に言わないで欲しいというようなことを、矛盾とも思わないで平気でいう。セカンドオピニオンは当然の権利だけれどもいままで世話に なった主治医には紹介してと言い出せない。メディアが作った市民像、自己決定ができ主体的に医療参加ができる賢い患者になりたいという強い願望を持っている。なるほどと納得できる処方、この人 でよかったという人間関係、団塊として扱われて、愛情不足で育った世代、私も乳癌になったときに、愛と希望という人間関係をひたすら追い求めていたと思う。80代の親を介護する悩みも抱えている。 この世代はCOMLの電話相談でもっとも層が厚い、どう向き合うかが医療の課題と思う。
  次の世代は30〜40代で、父や母が癌になる世代、ほとんどの人がインターネットを使う。情報を自分で入手し沢山の治療法の中で何が正しいですかと尋ねてくる。医療に正解は無い実情を話すと、 命がかかっているから早く正解を教えろという。私たちには権限も能力も無いと答えると、それではあなたがたは何ができるのですかと今度はCOMLが批判の槍玉になる。共通一次試験、センター試験 の産物なのか確実な論議ときちんとした正解を求め、完璧でなければならないという要望が強い。正直いってこの世代には、私たちからどのように向かい合うかという提案は無い。相談に乗っていてへ とへとになるし、コテンパンにやられる。医療現場がどう向き合うかについては医療の課題としていただきたい。わたしたちはとりあえず、私たちと向き合ってくださいというのが精一杯である。
  20代はマニュアル世代、これは彼らが悪いわけでは無い。日本人の意識の形は時代と地域の輪の中ではぐくまれるという司馬遼太郎の言葉を思い浮かべる。また医療は、受ける本人の後ろに家族が控 えているというもうひとつの特徴がある。患者の世代に限らず同時に2世代の人を納得させることが必要と言う医療現場の厳しさを痛感する。


◇ COMLの活動、模擬患者と患者情報室
  COML主な活動は電話相談のほかに、SP(模擬患者)によるコミュニケーショントレーニングと病院 探検隊、患者塾、患者情報室などがある。アメリカの医療教育でSPの存在を知りニューヨ−クのマ ウントサイナイ病院で、学生の教育に俳優の卵がSPをやっているところを見学した。演技がうまい ことにはさしたる感慨は持たなかったが、医師と10分間の会話を終えた後、まったくの素人の俳優 の卵が、その間どんな気持ちになり、こういうことを言いたかったと、見事に医学生にフィードバッ クしているのを見て感動した。帰国してからその活動を開始した、いろいろな協力を得て学生を送り 込んでもらい12年間続けている。春休みに学生を募集してSPの研修を行う。天理よろず相談所病 院の研修医はCOMLでSP研修を受けることになっている。病院探検隊は依頼のあった病院に10名前 後で訪れ、3グループに分かれる。一つは病院を自由に見て回る。ひとつは病院側の案内を受けて見 学する。もうひとつは探検隊メンバーであることを告げずに、ほかの患者に混じって実際持っている 症状や持病で受診をする。その結果を病院にフィードバックしている。
  昨年国立大阪医療センターに1300冊の専門書をそろえ患者情報室をオープンした。医療行為を受 ける人の自己決定を支援するための環境作りということで提案したことが実現したものである。病院 が50平方メートルの空間をNPOに提供し、物と人を持ち込んで企画を任されている。常勤スタッフ1名、ボランティアは28名登録されている。ボランティアには、利用者の気持ちの前に立つことなく、 後ろに回って支援することに徹し、支援を請われたら一緒に探すことを強くお願いしている。イベン トには映画鑑賞をおこない、2ヵ月に一度はセンターの医師を招いて勉強会も開催している。


◇ おわりに
  インフォームドコンセントが大切だから、話せばわかるというものではない。ちゃんと向き合って 目を見れば、わかったかどうかがわかる。心の動きは表情に出ている。これをキャッッチしてほしい。もともと医療者は感性が高い人たちがなるのだから、感性を磨いて欲しいと思う。豊かな感性をもち、心の引き出しをいくつも持った医療人を育てていただきたいと願っている。正解は無い医療の持つ不確実性や限界に、誠実に悩み続ける医療者であって欲しいと思う。

◆ COMLの新医者のかかる10カ条
−あなたがいのちの主人公・からだの責任者−
(1) 伝えたいことはメモして準備
(2) 対話の始まりはあいさつから
(3) より良い関係づくりはあなたにも責任が
(4) 自覚症状と病歴はあなたの伝える大切な情報
(5) これからの見通しを聞きましょう
(6) その後の変化も伝える努力を
(7) 大事なことはメモをとって確認
(8) 納得できないときは何度でも質問を
(9) 医療にも不確実なことや限界がある
(10) 治療方法をきめるのはあなたです

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