医療制度研究会 〜21世紀の医療を共に考える会〜

第18回 病院医師の評価制度 < 第11回 〜 第20回 > 第22回 21世紀日本の医療が目指すもの

講演会

●第19回医療制度研究会講演会講演要旨

「地域医療の実践と課題」


佐久総合病院院長 清水茂文先生
1.佐久総合病院の医療の原型
 佐久総合病院は1944年、ベット数20床の小さい診療所として創立され、若月俊一名誉院長を創始者として発展を遂げ現在は821床と分院132床の総合病院になっています。
 若月先生は農村医学の創設者として国際的にも有名です。宮沢賢治の教え、『農村に入ったら小作人たれ、演説をせずに劇をやれ』を実践し、出張診療、演劇、衛生講和がセットになって地域に対する医療活動を行っており、病院には劇団部が設置され、のちに住民からも脚本を書く人が出て、この原型は地域住民すべての人々に共有されています。

2.地域と共催する病院祭
 地元にある養蚕にちなんだ小満祭にあわせて病院祭が2日間行われ、1.5万人から2万人の人々が集まります。長い間毎年続いて行われ最近では祭りの祝賀会を町と共同でやっているくらい地域に密着したものとなっています。病院祭の準備は仕事を終わってから職員が集まりパネルや提示物をつくり、全国各地から、また海外からも見学があります。住民の声に耳を傾けるのが基本精神なので意見交換会なども開かれています。ことしの病院祭のテーマは『はこどもその幸せのために』と『すすめよう地域のバリアフリー』でした。こどもはいじめ、虐待、不登校など多くの問題を抱えています。バリアは精神障害者、知的障害者、身体障害者発育障害の差別の意味で、ハンセン病の方の粘り強い運動、大谷敏郎氏の努力で厚生省が謝罪することになったなどが関係しています。今年は2日間で1.5万人の一般参加がありました。文化とは人間が人間らしく生きていく営み生き方、福祉が人間性を失ったらおしまい。地域医療は文化運動、医療は文化なりと考えています。

3.健康管理活動と「予防は治療に勝る!」
 僻地無医村の医療活動で、人には健康に関して我慢型と、気づかず型があり、悪くなって病院を訪れる。この問題解決のために健康管理活動が行われています。『予防は治療に勝る』という考え方は後に全国的な展開を見せました。八千代村では全住民の健康台帳を作り、住民検診をやった。病院職員は全員参加が義務付けられました。大きな二つの成果が上がりました。ひとつは衛生指導員が住民から選ばれて活動に参加したこと、もうひとつは村の医療費が下がったことです。これらの事実は全国が注目することとなり翌年の82年、老人保健法が成立し、その中に保健事業が正式に組み込まれました。当院では今、年間十万人規模で集団スクリーニングが行われています。『長野県は最長寿で、老人医療費は最低』といわれます。かつて「陸の孤島」といわれこんなことは考えもされませんでしたが、海外途上国からの視察や研修者が増えています。彼らの目的はただ一点佐久の保健システムを知りたいといわれます。
 当院にある厚生連健康管理センターは約70名の専従職員をかかえ、毎日「検診隊」が県下に出て行っています。一班は約18名編成で、毎日2、3班が出動しています。一つの班に医師は二名参加が原則で、154名の医師が全員参加します。ただ検診をやるのではなく、健康で長生きできる地域づくりや、平和で幸せに暮せる地域づくりをめざすー住民が主人公の地域づくり、民主主義を育てていく運動だと考えています。がん検診は事業としてだけではなく運動でもあるのです。

4.佐久病院の研究研修活動
 病院には農薬中毒の研究で有名な「日本農村医学研究所」があり、農村、農業に関連する疾患の研究を基礎的な研究も含めて行っています。また「農村保健研修センター」という、宿泊施設をもつ研修機関があり、保健・医療・叱福祉に従事するスタッフの再教育研修をやっています。近年では福祉分野の二ーズが高くヘルパーの養成も行ってきています。また「地域保健セミナー」「お年寄りのケアセミナー」も開講し、ここを卒業した人たちが同窓会をつくっており、介護保険の勉強会等を組織したり、行政に働きかけたりしています。この人たちこそ、佐久地域の"保健・医療・福祉オンプズマン"、こうした人たちに選ばれる病院、医療機関でなければと考えています。

5.国際保健医療への取り組み
 佐久病院の国際保健医療への取り組みは盛んで、1952年(昭和27)年に国連代表が訪問しており、翌年にはタイ国代表が来ています。過去正式訪間者だけで千名をこえる人が来ており、実数ではこの22倍の人を受け入れてきました。若月先生はアジア農村医学会を設立し、この伝統は今日まで受け継がれてきています。病院のなかに「国際保健医療科」という部署があり、このもとに協力委員会をおいて実践してきています。
 “地域医療”というと、“自分たちの足元の地域の医療”と考えるのが普通です。私どもはこれをひとつの面と考え、もう一つ“海の向こうにある地域の医療”も地域医療だと考えてきました。1978年、WHO(世界保健機構)アルマ・アタ大会において、『世界のすべての人に、健康を』というプライマリー・ヘルスケア宣言(プライマリー・ケアではなく、ヘルスという概念が入ってヘルスケアとなっている点に注意)が発せられました。JICAや海外青年協力隊のルートで、長期に派遣される職員も出てきました。しかし、日本は国際保健医療協力の面で大変遅れており、外務省や厚労省、保健医療関係者がこの分野への理解を深め、この分野で重要な役割を果たしているNGO(非政府組織)活動が、もっと評価される仕組みが必要です。一昨年四月、佐久病院は基本理念を整備し、五つの行動目標のなかに「…中国ならびに途上国の国際保健医療に貢献します」という文言を掲げました。中国だけ固有名詞を入れたのは、当院とは長い交流の歴史があり、中国との友好をはかっていくことは非常に大切な課題だと考えています。この四月からフィリピン・ベンゲット州との問で、共同プロジェクトを立ち上げ、JICAとJA農協による農業開発プロジェクトにあわせて保健医療プロジェクトを重ねることになりました。いずれ病院から職員を派遣し、臨床研修医もここに一ヵ月派遣するシステムを検討しています。

6.地域医療と地域ケア
 通常の病院では診療に関わる部門は、「診療部」が一つあるだけです。当院は診療部、健康管理部、地域医療部と三つの部門に分かれています。「地域医療部」はさらに、地域ケア科、国際保健医療科、研修医教育科、地域診療所科と四つの科に分かれて運営されています。国際保健医療科はすでに述べたとおりです。研修医教育科は研修医教育に関係するカリキュラムの作成から、身の上相談まですべてをマネージします。佐久病院は現在、関連医療機関に十名以上の医師を派遣しています。その多くは町村立、国保などの地域診療所です。この派遣医師の調整や指導を担当するのが地域診療所科で、診療部と協力して行っています。
 1983年、当院に「在宅ケア実行委員会」が組織され、いまで言う地域ケアの活動が開始されました。この委員会の活動を基盤にして、87年「老人保健施設」モデル事業設置、山間へき地の「南部四ヵ村在宅ケア合同事業」などが取り組まれてきました。全国的に先駆的な活動として評価され、記録映画「病院はきらいだ」(時枝俊江監督、岩波映画杜)で紹介されました。1994年、「地域ケア科」を設立し再編しました。現在この科は医師の在宅訪問診療、六ヵ所の訪問看護ステーション、三ヵ所の在宅介護支援センター(出向を含む)、院内訪問看護室等の運営を行なっていて、社会福祉法人・JA長野会設置の特別養護老人ホームも事実上運営に関与しています。近隣JA農協にも保健・福祉の職員を派遣しています。
 昨年四月、介護保険がスタートしました。地域ケア科はこれへの対応に追われています。介護保険受け皿科として六年前整備したつもりでしたが、現実は予想をはるかにこえて大変です。いまでも専従職員は多いのですが、今年はさらに一つ老人保健施設(老人保健施設こうみ)が開設されましたので、大きな組織になってきました。院内でも多くの部署との連携が必要であり、近々”科”から”部”へ再編する予定です。地域ケア科は要介護高齢障害者を対象にしていますが、さらに地域ケアの対象は精神障害者、知的障害者、身体障害者、ストレス障害者、発達障害者、終末期のがん患者等も含む可能性をもっています。
 いまはキュア(医師の診療)に対してケアのもつ意味を多角的に考える時代です。学部教育ではどうしてもキュアが中心になりがちですが、臨床の現場では多くの場面でケアが要求されます。医師の場合、卒後臨床研修で教育しようとしていますが、順序が反対ではないかと思います。資格試験である国家試験がもつ威力は絶大です。難しい専門知識ではなく、基本的なものを大切にし、それを問う試験であってほしいものです。
 私どもは昨年四月、『発達外来』を設置しました。こどもの発達障害は重大な社会問題です。”児童虐待防止法”が制定されたのも、その反映です。長野県では県立こども病院ですら、診断はしますが十分な「療育」までは担当しきれないとのことです。十分なマンパワーがないわけですから、仕方がありません。まずはマンパワーを確保する必要があるでしょう。「児童相談所」は虐待問題に集中し、他の障害まで手が回らないのが実情です。どの県でも実情は同じで、担当者は深い悩みを抱えています。未来を担う子どもたちに対し、こんな状態でよいのでしょうか。効率性や科学性がもてはやされる時代ですが、特に現代日本の政策医療は何か基本的視点を見落としていないか心配です。医師のなかにも虐待経験者がいる時代です。思いやりや、気持ちの通い合いが大切にされない社会になってしまったのかもしれません。根本には地域社会の安全装置、つまり社会保障に対する国の政策基調が大きく関係しているように思います。

7.地域医療とは?(試論)
 第一段階ではよく言われるように、「地域で行なわれている保健・医療・福祉の諸活動」というところですが、第2段階では「住民参加と、民主主義、ヒューマニズム、協同の精神を基本とし、住民の生と健康を支え、やがて安らかな死を迎えるまでために、その地域に有機的で重層的なネットワークをっくっていく活動の総体」と考えました。これは佐久総合病院ではひと言『農民とともに』で代表され、ネットワークは『地域をつむぐ』と表現しています。第三段階の近年では、「本来公共の責任である保健・医療・福祉の諸施策を、個人や医療機関または地方自治体に責任を転化し、保健・医療・福祉を低く押さえ込む制度、政策の反映」とするようになってしまいました。介護保険は地方分権の流れのなかに位置づけられ、運営責任は地方自治体ですが、介護保険料の据え置きなど、肝心な点は集権的な中央の力で変えられてしまいます。また介護保険には市場原理がひそんでおり、値下げで競争する傾向となり農村部ではサービス低下が問題となります。自由競争の風潮は企業参入、混合診療など、アメリカ型市場原理を導入しようという動きとともに警戒しなければならないと思います。他者を貧困に追いやって得る豊かさが、本当に豊かなのか重大な問題です。

8.村から消える老人
 山間部では何十戸かあった集落がそっくり崩壊してしまったような風景に出会います。農村地域からはお年寄りが消えていきます。いく先は都市に住む子どもたちのところか老人ホームなどの施設でした。仕方がないが大方の意見ですが、近代家族制度のあり方とか、老後の生き方とか、老人の居場所等の深い問題をかかえています。地域社会のあり方を問うテーマとして、いまでも追っているところです。先進国であれ、途上国であれ、お年寄りや障害者がこれほど粗末にされる国があることを聞いたことがありません。高齢者を日本以外の土地で預かるというビジネスが問題になったことがあります。先進国日本は、こうした障害者をも商晶化するのでしょうか。国家の威信、国の品性に関係する問題です。市場原理は適用する分野を間違えると大変なことになることを承知すべきです。
 私どもがやらねばならぬことは、それぞれの地域でお年寄りや障害者が、安心して暮らせる仕組みをつくることです。安心して平和に暮らせる地域づくりがうまくいかなければ、弱いものが犠牲になったり、凶悪犯罪が発生したりするのだと思います。この地域づくりこそが、二十一世紀を切り開く鍵になるでしょう。

9.メディコポリス構想とは?
 1988年、若月俊一名誉院長により“メディコ・ポリス”という用語が登場しました。メディコひろく医療を意味し、ポリスは都市を意味し、地域自治共同体のような意味合いだと思います。テクノ・ポリス.は企業誘致による地域づくりですが、メディコポリスは保健・医療・福祉を軸にした町づくりです。リゾート開発は自然破壊をきたし、都市の人たちのための開発という側面が強く、景気や流行に左右され、安定した雇用を生みません。医療・福祉への投資は生産性がなく、“捨て金”との意識があり、この構想はこの意識に変革を迫るものです。
 メティコ.ポリス構想の基本的条件は、第一に医療・福祉システムの整備であり、第二に教育施設の充実、第三に住民の生計を確保できる産業の振興です。さらにそれぞれの条件が相互に連関をもち、例えば医療・福祉と商業が、運輸やリゾート業が運関をもって、協力して発展していくことが大切です。一番重要な点は若い人たちの安定した雇用をつくることです。言い方を変えれば、これからはお年寄りと若い人たちを対象とした、新しい形の公共事業をおこすべき時代と考えます。
 国立滋賀大学学長で経済学者、宮本憲一教授もこの構想に注目し、数年前から佐久地域の三つの町村を調査し、地域の内発的発展や地域財政論の視点からこの構想の有効性を実証しました。この研究では佐久病院がある地元臼田町の産業構造の推計が書かれており、建設業19.6%、医療・保健が18.5%と後者の比重がきわめて高いことが指摘されています。ちなみに農業は8.3%、商業は6.0%でした。どこの自治体も財政困難に直面しているはずです。地域社会を安定的に発展させるには、政治が勇気をもって財政を見直し改革することがいま求められています。その際、手間がかかっても自分たちの地域の産業構造を分析し、縮小すべき産業、拡大すべき産業を明確にして事業計画を策定すべきです。

10.メディコポリス構想の具体化
 すでに佐久病院は約六年前から地元臼田町に、「病院を核とした街づくり構想」を提案してきました。町側の基本的な構想、地元商工会の構想なども準備が進んでいるようです。病院の提案の第一は、町ぐるみの「福祉の里」づくり構想です。病院の周辺にさまざまな福祉施設を配備し、医療との連携をはかっていくこと、障害者が自由に利用できる施設づくり(歩道、商店、バス、公園など)、つまり「バリアフリー」な地域づくりです。教育施設としては医療看護福祉大や医療技術大を誘致することなどです。第二は、都市と運携した「健康な町づくり」です。健康づくり施設などを中心にしたスポーツ施設、都市の人たちに有用な休養と緑を生かしたレクリェーション施設、魅力的で付加価値のある「人間ドック」などです。第三は、商店街と一体となった町づくりです。駐車場と商店街を一体化して病院とつなぐとか、それぞれを何らかの方法で連結し、患者さんの利便性を向上させることが求められています。これからさらに高齢化が加速していくので、当院にとって高齢な患者さんの通院の利便性は最優先課題であり、今後の病院の命運がかかっています。歩行困難な人、車いすの人が安心して来院できる病院でなければ、もはや生き残ることはできません。

11.小海診療所の駅舎移転
 現在佐久病院は『JR小海線』の駅舎内に、十二床の有床診擦所(小海診療所)をもっています。もともとある建物の老朽化で建て直しが必要になりました。そこで”メディコポリス”という視点から、他に類を見ない画期的な提案をしました。診療所を小海駅舎に移転させ診療所跡地に老人保健施設をつくることでした。小海駅舎の半分はショッピングセンター、半分は入院12床と人工透析12床をもつ診療所となりました。病院と駅と商業が一体化した素敵な形になりました。私はこれを、「小さなメディコポリス」と呼んでいます。通院の利便性を第一に考えて、こちらから「駅」へ行く、これも形を変えた「出前医療」です。高齢者医療とか高齢者福祉を言葉で言うだけでなく、具体的な形にして役立つようにしなければ何の意味もありません。地域医療とは言葉ではなく、患者・住民のことを第一に考える実践なのです。分院移転跡地には老人保健施設(当面55床、将来88床)が今年の4月に完成し、30名をこえる若い人の雇用が生まれたことです。となりの南牧村には八十床の特別養護老人ホームもでき。ここでも50名の雇用が生まれました。南佐久南部五ヵ町村は人口約1万7千人の農村部で、高原野菜農業、リゾート、兼業農家などがある過疎地域ですが過去二十年以上、このようなまとまった若者の安定した雇用がおきたことはありません。国の完全失業率が五%をこえました。失業ほど人間の尊厳を損ねるものはありません。私たちには自らの賃金を抑制してでも、雇用を守り、ざらに雇用を拡大して地域に貢献する使命があります。

12.日本の地域医療を希望あるものに
 ”メデイコ・ポリス構想”は佐久地域独特のものではなく、全国に普遍性のあるテーマだと考えています。それには関係組織、団体が「地域づくりへの貢献」を合い言葉に、協力しあう関係づくりが必要です。それを行政があらゆる面で応援し、場合によっては強く指導することです。どこかを排除したり、だれかを排除するようなやり方ではダメだと思います。関係つくりには、連携とか、相互乗り入れなどわずらわしい面もありますが、過疎に悩み、地域再生を模索しているところがあれば、ぜひこの構想を一度検討してほしいと思っています。いのちと健康(こころの健康を含め)がいっそう大切にされ、幸せな暮らしができる地域づくり、あらゆる病気、あらゆる障害に対する差別と偏見をなくした地域づくり、『ともに創ろう、いのちと暮らし』これこそがこれからの地域医療の最大テーマだと考えています。当院は数年前に「地域住民とともに五十年」というビデオを作りました。佐久病院の半世紀を描いた歴史記録映像です。このビデオのラストシーンは、流し雛と田んぼの上になびく鯉のぼりの映像になっています。これは二十一世紀に向けての、私ども佐久病院のメッセージになっています。二十一世紀は私どもの時代というより、いまの子どもたちの時代と言えます。その子どもたちが、いま危ないと思います。小手先のプランで、本当に子どもの心とからだを守れるのでしょうか。子どもたちが育つ地域が健全さを取り戻すことなくして、守りきることはできません。学校に重大な困難があることはよく承知していますが、やはり”学校づくり”の域を出ていないように思います。地域づくりのなかに学校づくりを位置づけているかどうか疑問です。いま佐久病院は創立以来の歴史と一将来の命運をかけた、病院再構築という課題に取り組んでいます。約五年の準備検討期問を経て、昨隼実行プロジェクトを立ち上げました。一年間全病院的に議諭し、汗と苦悩の結晶である「中間」報告をまとめました。病院が自力で考えられるギリギリのものです。自力で解決しなければならない課題、自力では解決できない困難な課題がきちんと整理されました。全職員の意見が凝集した大きな成果です。再構築全体の実現という視点からすれば、前半戦がまとまりました。後半戦はこの病院の主体的な報告を墓本に、これからいよいよ「地域の中へ」(佐久病院長期構想タイトル)入っていこうと思います。自治体、JA、関係団体はいうまでもなく、すべての住民の意見を聞く中から、最終案を決定することになります。佐久病院は私どもの病院ではありません。JA組合員を基本とした、全住民のものです。地元臼田町、佐久広域地域全体、長野県、国まで含めて理解を求め、意見を聞き、期待にそえる再構築を果たしていきたいと思います。半世紀以上にわたって佐久病院を守り育て、日本の、いや世界の歴史上に残る偉大な仕事を築いてこられた先輩たちに報告し、その貴重な意見を聞かなくてはなりません。第四次医療法改定が昨年秋決まりました。再構築は法律の施行にともなう厳しい時間の制約があります。それでも粘りぬいて、再構築を必ず実現することを確認したいと思います。
−完−
このページのトップへ

第18回 病院医師の評価制度 < 第11回 〜 第20回 > 第22回 21世紀日本の医療が目指すもの

Copyright (C) 2006 NPO Iryoseido Kenkyukai. All Rights Reserved.