医療制度研究会 〜21世紀の医療を共に考える会〜

第15回 医療事故・我々に何が出来るか < 第11回 〜 第20回 > 第17回 「大リーガー医」の臨牀研修

講演会

●第16回医療制度研究会講演会講演要旨

「大往生と医療」


永 六輔氏
 大往生の永さんに御講演をいただくことが出来ました。お寺の御出身でしかも死という重い話題をわかりやすく、また、医療を受けるお立場からお考えを伺うことが出来ました。お話の内容はもとより、絶妙な話術のなかに行われたその場の雰囲気を正確にお伝えすることが私には出来ません。どうしたらお伝えできるか悩んだ結果、お話の内容を感想文のような形で書くことしかないという結論になりました。こんなもので良いのかと思いつつ、筆力不足をお許し下さい。

 永さんは放送や執筆など幅広い御活躍の中、現在は御家族と義母さんの介護を同時に行われており、「医療に従事する人ならば家族が介護を行うことがどのように大変かをわかってもらいたい。ほっとけば倒れる状態」と今の状態を説明されました。御講演は医療を受ける立場の代表ということで、まず永さんの病歴から伺うことになりました。

1.永さんの病歴
 永さんは小学生時代に、当時は最先端といわれた病院でラジウムによる放射線療法を、長いこと入院して受けられたそうです。いまのわたし達の常識からいえば悪性腫瘍を考えてしまいますが、当時の病名ははっきりせず、脂肪のかたまりがあっちこっちに出来てしまう病気だったそうです。戦時たけなわ、空襲がひどくなり長野県の小諸に疎開しなければならなかったときには、命の保障はないとさんざん脅かされたのに、疎開した先でめきめき健康を取り戻し、それこそ「何もしないのに」健康体となり、それ以来病気らしい病気をしていない。「何だったのかあれはというわけで、近代医学は全く信用していない」とのお話。
→ 戦時中という昔、免疫の力も、アポトーシス(細胞増殖が行われる場面で、必要な細胞だけをを残して、余分な細胞が自然に死んでしまうようにプログラムされている仕組み)も、良性、悪性の組織的な区別も知らなかった私たちの先輩の話ですが、後になってみると、技術だけが命を救うという思い上がりに気づかないで、自然治癒力の偉大さを知らずに余分なことをしてしまう−現代の医療でも充分あり得る話と思います。乳ガンにかかった人たちの集まりである曙会に永さんが属されているとのお話を、このあとお聞きすることになるのですが、この治療が関係していなければ良いと思ってしまいました。医者は、ホントは手も足も出ない問題なのに、否応なく解決を迫られる立場になってしまうことが多いだけに、医療は万能ではあり得ない「人」のやることという自覚は、いつの時代でも認識していなければならない重大なことだとおもいます。

2.霊安室ご案内
 病院の構造は複雑でわかりにくいので、案内図が良く掲示されていますが、この中に「霊安室」という字が平気で書いてある。病院と死を考えれば、案内だからと軽く考えてほしくない。永さんは見つけ次第外してもらう運動をやって、いくつもの施設で消してもらったそうです。あるホスピスでは、入り口を入ったところに霊安室がありびっくりしたことがあった。覚悟をもって療養をという意味が含まれているのかも知れないが、いづれにしても霊安室の意義をよくわきまえたうえで、書く書かないとはっきりさせることが必要ですとのお話。
→ 死の意味を病院や医療スタッフが、重要なことなのにしっかり議論していないことが原因と思います。軽く考えないようにしなければと思います。
◇たばこで感じる日本人の曖昧さ
 たばこに関しても病院のスタンスがはっきりしない。日本ではたばこの警告書は「吸いすぎに注意しましょう」、アメリカでは「有害だからやめて下さい」と書いてある。病院のどこにでもある喫煙室は、問題の論点をはっきりさせていないのではないかとのお話。
→たばこは有害とわかっていてもやめられない習慣性の問題もあって、全面禁止は出来ないというのが病院の立場と思いますが、せめて喫煙室にたばこは有害です吸わないで下さいというメッセージくらいは出す必要があるかも知れません。ちなみに永さんは、周りの人が吸っているのをあまり気にしない。排気ガスを吸ってるんだからドオってことはない、どうぞ吸って下さいという。そして最後に吸ったものは吐き出さないで下さい(笑)と付け加えていられるとか…。

3.四天王寺、お寺と病院は一体の話し
 四天王寺に行くと病院と寺院が一緒になっている。その昔人々は死を迎える時期になると、寺院に行きそこが死を迎える場所だった。人が亡くなると鐘が鳴り「祇園精舎の鐘」といわれた。運命とあきらめ、死を冷静に受け止めた上で人の死を悼む仕組みがあった。いまはどうかというと、病院は死んでしまったら関係がない。坊主は死んでからが勝負だから人が生きているときには関係がないという。ここがプツリと切れてしまう。宗教とのかかわりが問われますが、病院には死をどのようにとらえているかが見えてこない。この辺が整理されると生老病死に立ち向かう力がでてくるかも知れない。一般の人は、父や母がどのように年老いて、どのように病と闘い、迷ったり受け入れたりしながら死を迎えたということを語りたがらない。昔は命日などで、そういうことを考えながら今度は自分の番だということを自然にわかっていくことができたとのお話。
→ 90%の人々が病院で死を迎えるにしては、私達は人の死に、正面から取り組むことはしていません。これから益々大切なことになると思います。

4.臓器提供と盆踊り
 死んだ後の考え方は、キリスト教では天国に行く。だから告知をするのも比較的簡単ですが、仏教では難しい。仏教では死んだ人は草葉の陰というようにそこらにまだいると考える。盆踊りは亡くなった人が帰ってくることを想定している。笠をかぶって下を向いて踊るのは、踊り手が誰か亡くなった人に見えて、その人が踊っているような感覚にするところが大切なのです。夜暗いところ、ろうそくの光のなかで行われる盆踊りをみるのはいいものです。
臓器提供は仏教的な考え方で行くと、臓器を誰かにあげてしまうのだから、お盆の時に帰ってこられない(笑)。仏教という立場からいえば臓器提供とは相容れない考え方になる。病人が助かるために他人の死を待つという考え方になるし、臓器コーディネーターだって完全に当てになる人ばかりではない。この辺も曖昧になっているからなかなかホントのところが見えてこない。永さんのお母さんが亡くなられたときに、どの時点が脳死の状態ですかと医者に聞いたことがあったそうです。そのときに大きな声で呼ぶとその方を見ようとしする。聞こえていると思った。まだ反応があった状態で臓器を提供などは思いも寄らない。誰にもやりたくないと思う。
→ 永さんは臓器移植には反対の立場です。

5.学校が教えない大切なこと
 ホスピスに勤める看護婦さんに、ホスピスに勤めてよかったことはと尋ねたら、「嘘をつかないですむこと」という答えが印象に残っています。普通の医師や看護婦さんはうんと嘘をついているということでしょうか(笑)。嘘の使い方、受け止め方もそうですが、病人とどのように対応するかということ、その人がどのように今まで生きてきたかを推察して、病人の立場を理解しながらどう話し合うのかというようなことは、医学教育では教えないのでしょう。ある病院の廊下で、口の中で”御臨終です”をいろいろに言ってみて練習をしていた若い医者とすれ違ったことがあります。こういう知恵は学校では教えないから、現場で見つけることになる。そうなるとベテランに期待が集まりますが、ベテランは忙しくなって対応しきれない。恩恵を受ける病人の立場から見ると、やはり学校教育の仕方を考えて何とか欲しいと思う。
→ 学校での教育は、病気のことに重点がおかれ、病人のことは現場でということになりますが、人手不足の現場では、研修医も一人前に扱われてしまい、スプンフィーディング(手取り足取り教えること)が行われません。研修医はベテランの医者が、直に病人さんと渡り合うところを見ていません。医学的なことは教科書から学べるので良いとして、この手の教育は本を読んで身につくことではないから、ベテランの経験が研修医に継承されないことになります。大切な部分がこうしてだんだん廃れてしまったのが今の医療なのかも知れません。
◇永さんのお母さんと世話好きな医者の話
 永さんのお母さんは95才になった時に、自治体から医師の派遣を受けて健康指導をうけたことがありました。医者はまじめに「足から老化が進むから歩け歩け」と指導しました。お母さんのお答えは「いい女が、用もないのにぶらぶら歩けるか…」(笑)、「牛乳を飲みなさい」という主治医に、「きらいだから飲まないで90まで生きたのに、何でいまさら牛の世話にならなきゃならない…」(笑)といわれたそうです。医者は仕方がないから薬を飲んでもらうことにして、効果や飲み方を説明していたら、目の前でみんな捨てられてしまった。手に負えないと思っていたら、医者のほうが先に死んでしまった。「自分の世話も出来ないのに人の世話が出来るか」ということになったというお話。
→ この辺も学校では習わない部分です。生き死にに関するホントのことは、学問よりはるかに複雑だと気がつかないと間抜けな話しになってしまうようです。

6.お母様が入院した時の話。
 転倒による骨折でお母さんが入院したとき、いきなり三ヶ月はかかるでしょうといわれた。後になってわかったことですが、これは3ヶ月で退院できると言うことではなく、3ヶ月しか入院できないという話。治ってもいないのに何でということになりますが、誰も文句を付ける人がいない。これもわかりにくい話です。
 入院して問題の3ヶ月が経たないうちに、永さんはお母さんと看護婦さんとのトラブルで呼び出しを受けてしまいました。一方は「幼児語でおばあちゃんと呼んで赤ちゃん扱いにし、人をばかにするのは許せない」。一方は「忙しいのだから看護婦に悪態をつくのはやめてほしい」ということでした。集団の介護と言っても、一人一人の人生が違うから対応も変えるのがふつうではないかと思ったが、なかなか聞いてもらえなかったというお話。
→ このことはベテランのスタッフなら一度は経験したことがあると思います。怒ってくれる人は少ないから、多くの御老人はおつき合いで、子供扱いにあわせているのかも知れません。このことがわからないと、お年寄りにスタッフが童謡を歌ってもらって喜んでいるという笑い話になってしまいます。永さんは看護婦さんの味方だからと、立場を表明しながら話されました。長期入院が3ヶ月という点は、確かに厚生省に文句を言った医者の話は聞きません。これって私たちの責任なのですネ。

7.淀川長治さんの病室に掲げられた貼り紙のはなし。
 淀川さんが入院したのは、数十年続いた猫背を直しましょうと余計なことをするマッサージの人がいて、無理して矯正したら入院になってしまったのだそうです。永さんがお見舞いにいったら病室のドアに貼り紙があり、「このドアを開ける人はにっこり笑って下さい」と書いてあった。にっこり笑ってドアを開けたら、「おまえは笑わなくて良い、看護婦さんがなかなか笑わないからだ」いわれた。そのうちに、看護婦さんが何処の病室を訪問するときにもにこっとするようになり、病棟の雰囲気が明るくなり感謝されたというお話でした。笑顔を作ることはなかなか大変なことで、スチュワデスさんがこのせいでノイローゼになることがあるという例を示し、また看護婦さんが今の医療制度の中でいかにこき使われているかを話された上で、永さんは「一枚の貼り紙くらいで笑うなよ、貼り紙を待つまでもなくやらなくちゃ」と激励するそうです。
→ 作り笑顔のつまらなさも御指摘でしたが、病人さんから見ればかけがえのない笑顔なのだと思います。看護婦さんの激務についてはこのあとでも、お知り合いの方のお孫さんが念願の看護婦になられてから、御家族が激務に愕然とされ、御本人は健康を害されて退職した話をされていました。「冗談じゃない。ばたばた倒れるのになんで黙っているの?」と永さんには逆に聞かれていました。

8. 地方にいる心に残る医師の話
 医師の評価がなかなか上がらない中で、永さんは心に残る医者もたくさん知っているといって次のような話をされました。
 沖縄泉崎総合病院の院長平田さんは内科医だが、沖縄の米軍基地をジェット機が何台も着陸できる巨大な医療基地にしたいというのが念願で、基地を返せという運動をしている。現に沖縄の米軍基地は米軍の医療基地だそうで、これを開放してアジア各国から病人を運んで病人の基地にしたいという。話のスケールが大きい。
 甲府にある富士見クリニックの内藤先生は、スタッフ2人と在宅ホスピスをやっている。イギリス留学の経験を生かして、がんで死ぬのなら甲府に行きたいと思うような活動をされている。
 福井県三國沖でロシアのタンカーが沈んで油が流出したときに、集まったボランティアが、事件の後で集まったときに、最も活躍した人を表彰した。表彰されたのは肛門科の医者だった。冬のさなかひしゃくを使ってしゃがみ込んで作業する。痔が悪くなることを先見した彼は、福井中から痔の医者を集めて対応した。医者しか思いつかない発想でタイムリーに手を打って感謝された。
 菊池養生院の竹熊先生は、牧場という良い環境で働くことを治療手段として、出来るだけ手術をしない、薬も使わない主義で独特な医療を行っている。
 このように心に残る医者はたくさんいる。医者にしか思いつかないようなことで社会と関わり合いながら、人のことを考えていてくれると思われることは大切なことで、視点を変えればまだまだ国民の支持は受けられる。良いことは良いと言い。おかしいことはおかしいと言う、医者が社会とつながるのはこの様なところで、どのように医者がかかわっているかがわかれば支持も得られやすい。とのことでした。

9.おかしいと感じること
 病院や医療にまつわることはいろいろわからないこともあるし、おかしいと思うことは沢山ある。このような妙な部分は、病人さんも家族も体験して知っている。小学生が刺されたり、好みの女がいるから刺してしまうようなことが現実に起きると、医療は犯罪をどう考えているのかと思う。専門的には難しいだろうが、医療に関係するところは多い。おかしいところはおかしいと声を上げて改善しなければならないのに、なかなか変わっていかない。だからというわけではないが、年老いると、病む死ぬという面倒なことから離れて生きたいと思うひとが多い。しかし、人はみんな最後には必ず死ぬ。死亡率は100%なのだから誰もが命のことは学ばなければならない。生老病死をまじめに考えた上で、おかしいことはおかしいと言い合って問題を考えて行く、そのための受け皿は増やしていかなければならないと思う。永さんが今日ここにきて話す気になられたのは、そのような思いがあったからとのことでした。

10.大往生
 一番不幸な死に方は未練を残すことです。ああすれば良かったという未練があると、つらいところに向かっていくときに、精神的な重荷になってしまい、そこから抜けきれないで、悔しく思いながら死んでいく。人はみんな死ぬ、病気で、事故で、ひょんなことで殴られてということもあり、いろいろな死に方がある。今生きていることをどう認めて、いつかは死ぬなければならないことも自分で覚悟して、だから今こうやって生きているのだということを、学校教育の中で取り入れていかないといけないと思う。どんなに平和でも死ぬ。死と隣り合わせに生きていながらどうやって生きていこうかということが重要なのです。

11.大往生の相談役
 死のことを考えると、信仰と医療と行うことで相談相手になってくれる医者がいると良い。手術をしなくても良い。助けなくて良いから、相談に乗ってくれる医者がいることが大切です。
→死を直視しなければならない高齢者の場合は、高度先進医療も延命のための医療も、予防医学だって意味をなしません。何も手が出ないのだから、相談出来る医者の方がよほど役に立つということで、技術偏重の私達のシステムも反省しなければと思います。
 また、坊さん、神父さん、神主さんなど広い意味で宗教家も身近にいると良い。必ずやってくる死のことを考えることが出来るからです。毎朝起きるたびに死ぬことを考ても気が滅入るから、大事な人の命日くらいは覚えておいてそのときに考えるだけでよい。葬式の場に寺の人がいると、葬儀屋が高いことふっかけないからいいこともある(笑)。葬式の値段は根拠があるわけではないし、だれもが一回限りでわからないから目が離せないとのこと(納得)。
 法律家も死ぬときまでには必要で、相続のことも考えなければならないこともあるし、遺書くらい書いておくことも必要です。
 医者も坊主も弁護士もいるという中で、横に情報交換をしながら医療制度をどうすればよいか考え、その中で命が終わるとすればそれが一番良い、ひどい病院だ、ひどい医者だ、ひどい看護婦だといいながら死にたくない。良いお医者、良い看護婦さん、良い病院で良かったと思って死ぬことが大往生というのです。
→ 日頃病人さんの延命だけを考えている私たちには、このコメントは御講演の重大なものの一つだと思います。何で死んだのだろうかということは症例検討会で話題になりますが、大往生だったかということはあまり話題になりません。高齢化に向けた我々の感覚が変化を求められていると思います。

12.御講演終了後のお話。
 医療現場のマンパワーが不足していて、医療費抑制でますます厳しくなることについて質問がありました。永さんは看護婦さんの激務に触れ、看護婦は白衣の天使ではなく、白衣の労働者、激務にバタバタ倒れている話は聞いて知っている。こういう看護婦さんに介護されていると言うことはたまらないと思う。どうして現場がこうなっていることが行政や国民に伝わらないかおかしいと思う。伝わらないのは何故なんですか?現状を伝えている人はいないのですか?と問い返されました。そして駅のプラットホームにある、点字ブロックが各県で仕様が違うことを例に挙げられ、医療現場の声が通じないこと、現場の問題を持ち上げていこうという仕組みを作ることが必要だということ、行政が悪いというとそれで議論がとまってしまう。この会のように、いろいろな人がフリーであつまっていろいろなことを言い合うのは何かいい感じがする。この様なちいさなつみあげかたをして何年かかるか、何年かかれば看護婦さんがにっこり笑って仕事が出来るか、さらに拡げて、役人も来る誰も来るというように、活動が続いていくことを期待している。情報がもらえれば、放送人として広報に協力するとのエールをいただきました。次の日には大分に行かれるお忙しいスケジュール、特別にお疲れのところこの様な良いお話をいただき改めて感謝を申し上げます。(中澤記)
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