講演会
●第5回医療制度研究会講演会講演要旨
「Evidence Based Medicine の概要と今後の医療」
京都大学医学部総合診療科教授 福井次矢先生
1.はじめに
診療の内容には、国や地域や医師により大きな開きがあることが指摘されていた。病気の自然歴と医療の効果についての科学的なデータが無く、複数の診療上の選択肢の優劣に関する成績もしっかりしたデータがないことが一つの原因とされた。一般的に医師が臨床判断の根拠とするのは、人体の病態生理学的な原理であったり、生物学や哲学の一般的な原理であったり、社会通念や個人的な信念であったりする。さらに進んで、高血圧治療が生命予後を改善すると仮定して、血圧という中間変数を指標にした研究結果もこの根拠になるが、必ずしも信頼性が高いとは言えない。これら臨床判断の根拠のなかで、最も信頼性が高いとされるのは、患者の利益を指標にしたランダム化比較試験による研究結果で、近年多くの研究が行われるようになった。そしてこのような根拠のある結果に基付いた診療は、1978年アメリカで全診療行為の10〜20%とされたがここ数年目改善され53%に達するといわれている。
2.EBMとは
EBMとは現時点における最良の証拠を、良心的、明示的、妥当性のある用い方をして、個々の病人に臨床上の判断を下すことと定義される。
過去約50年間で、信頼性の高いランダム化比較試験の研究結果が蓄積されたことと、コンピューターの普及で検索が容易になり、さらに受療者からの情報開示の要求など、社会的背景も加わりEBMが提唱されるようになった。
この考え方は、「臨床疫学」として古くから提唱されたものであったが、1960年代後半になって、患者集団での診断、予後、治療などに関するデータを定量的に解析すると、適切な臨床判断が可能になるとの考えから、学問としての重要性が確立された。その後アメリカやカナダに置けるプライマリーケアの意識の高まりからさらに発展し、現在この学問は「生物統計学、決断科学、コンピューター科学、心理社会学などを基盤とした疫学的な手法を応用し、診療行為や検査法、治療法などの有効性と効率性を評価する学問」と定義される。
3.EBMの手順
もともとEBMは信頼性の高い研究成果を提供しようとする臨床研究者のためではなく、これらの研究データを利用し臨床判断を行う立場にある臨床医のための行動指針として提唱されたもので、以下の4段階の手順を踏んで行われる。
1)疑問点の抽出
例えば、ACE阻害剤を心不全患者に投与した場合、どの位生命予後を改善するかなど、という臨床判断上の疑問を抽出する。
2)文献の検索
いろいろな媒体が可能であるが、最近では臨床疫学的に見て科学的に信頼できると評価された論文のみをまとめたACPJournal ClubやEvidence
Based Medicine という雑誌も出版されている。前者はACPJCOD と呼ばれるCDROM版も出しており、Cochrane LibraryのCDROM版もある。また、1997年からHarison's
TextbookもCDROM版を出し短い期間で改訂している。とりわけ重要なのはインターネットを介してMEDLINEへのアクセスが可能になったことである。
3)文献の信頼性評価
個々の文献の結論が信頼できるかどうかについては医師が判断しなければならない。EBMではランダム化比較試験で得られた結果を最も信頼性が高いデータと見なしている。またいくつかの研究をまとめて結論を考えるメタ分析と呼ばれる手法を使った研究も高く評価される。それ以外でも、ランダム化されていない比較試験や症例対照研究なども、専門委員会の報告や意見、権威者の考えなどより高く低い評価されている。これらの評価にあたって、偶然性やバイアス・交絡因子といった臨床疫学の基本概念の理解が必要となる。
4)文献の結果を病人に適応する妥当性の評価
文献の結論を、今まさに問題に直面する病人に適応するにあたって、対象患者の病態生理の違い、薬物代謝などの人種差・個人差、病人のコンプライアンス、医療者側の治療内容、診断精度の相違、合併症の評価、ベースラインリスクの評価などを考慮する必要がある。ベースラインリスクとは、同じ有効性のある治療を、二つの患者群に用いるとき、自然経過で治癒が望める患者群と、治療無しでは治癒が望めない患者群とでは、同じ治療でも実際の有効性が違う。この病人がもともと持つリスクをベースラインリスクと言う。
これらに加えてインフォームドコンセントが行われ臨床判断がなされる。
4.EBMと医療への影響
EBMが広く行われるようになると医療は次のような変革を遂げると考えられる。先ず、個人的な経験や観察に依存した従来の医療は、体系的に観察収集されたデータに基づいた医
療にとって代わられ、基礎医学や病態生理学的な応用を重視する立場から、実際の病人から得られたデータを重要視する考え方に代わると思われる。そして論文を正しく解釈するために必要な、臨床疫学、生物統計学を身につける必要性が説かれ、専門家の経験や直感に依存した判断が、第3者による客観的なデータ評価による判断の重視へと変わる。これは医療情報の開示、インドームドコンセントなどが重要視される現代の医療に必要なパラダイムシフトでもある。
5.EBMの具体的な内容
1)診療時における疑問解決への応用
例えば結核性髄膜炎の患者が麻痺などの神経症状を呈してきたときに、ステロイドを使用するかどうかの判断にEBMを用いた場合、次のような対応になる。
meningitis,tuberculosis,steroid という検索語を用いてMEDLINEの検索を行う。68程度の文献が見つかるが、この中の小児に関するものを除き、内容を確認する。最終的には成人対象のランダム化比較試験を行った文献が一つあり、ステロイド投与を行った方が、神経学的な後遺症、回復の早さ、日常活動度にすぐれた成績であると述べられていた。そして臨床的な判断はステロイド投与を行うことになる。
2)一般臨床医向けのガイドライン作成
診療ガイドラインを作成するプロジェクトとして米国のAHCPRで行われた一例を示す。まず最初に内科整形外科など各診療科から200名の専門家に患者代表、臨床疫学者、医療経済学者などの委員を選出する。コンピュ−ターで検索された文献は10,317件あり、信頼性を考慮に入れ約40%に絞った。委員が手分けして文献を検討し、チェック項目ごとに信頼性を評価した。文献の評価には研究デザインが重要視され、ランダム化比較試験の成績が最も高く評価された。最終的なガイドラインは信頼性をランク付けしたものとし、さらに外部の識者が評価し完成した。
6.EBMの有効性と展望
医師の診療行為はEBMの影響により、有効性が確認された治療がより頻繁に行われるようになり、証拠のない治療が行われることは少なくなった。1995年のある研究では、内科病棟の調査で、EBMによる治療は53%、証拠のない治療は18%であったという。ちなみに1990年前半ではEBMに基づいた治療は20から35%であった。
ガイドラインの有効性については、導入前後で医療行為の改善度と患者にもたらされた効果を比較した報告があるが、多くのガイドラインで有効と判断されている。
国際的にみて日本では証拠をつくる努力が少なく臨床研究に対する貢献度が少ない。実際の診療にあたっている臨床医の間だけでなく教育、行政のレベルでの普及も求められている。
7.EBMの教育
日本にはまだ医学部、大学院教育でEBMに関連する講座が開設されている大学はない。現在熱心に行われているのは、卒後研修のレベルであり、後期研修医の時期は、時間に比較的余裕が出来るので、初期研修に比べて、教育の中に取り入れるには最適と考えられる。
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感想:以上福矢教授の御講演をまとめました。医療制度の改革を迎え、混迷を深めるであろう臨床において、EBMは一つの確かな指標となるものと考えられます。現代の日本の医療はいろいろな不確実な根拠に基づいた多様な医療となっていますが、いちばん大きな影響力を持つのはなんと言っても「保険」に基づいた医療のようです。ヘリコバクターピロリの胃潰瘍に対するEvidenceが証明されて久しいのに、保険の壁に阻まれて除菌医療はおろか、検査すら出来ないなどという類の話は枚挙にいとまがありません。診療報酬の評価や薬剤の認可がこの考え方に基づいて行われるならば、経済的にも病人のアウトカムに於いても、一臨床医が追求する価値観とは比べものにならないほど大きな影響を日本の医療にもたらすことが出来るでしょう。私達は現場の証拠を真摯に蓄積し、国も社会も考え方を変えることが出来れば、謂われない日本医療の不安をも払拭できるのではないでしょうか。
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